今井雄太郎の野球場で飲ろうぜ

はじめに

私は子供の頃、野球が好きで実際中学までプレーをしていました。もちろん今でも大好きでテレビ観戦はよくします。

話はかわりますが、私は40超えてますがその少し前くらいから「吉田類の酒場放浪記」という番組が好きになり、そんなに強くはないですがお酒も飲むようになりました。

今でも酒場放浪記や太田和彦さんの居酒屋番組、「町中華で飲ろうぜ」などのお酒関係の番組は大好きです。

そして野球とお酒といえば、元阪急のエース格ピッチャー、今井雄太郎投手が思いだされます。

私と今井投手とのかかわり

私が小学校5年か6年の時に、今井投手が私の住んでいる田舎にやってきて、ちょっとした話と質問コーナーをしてくれました。色紙をお預けしたらサインもいただきました。

印象としては、失礼ながら野球選手というよりは、貫禄のある社長さんのような印象でした(あまり気さくな感じはしませんでした)。

今井投手について

プロ入り前

出身は新潟県長岡市。長岡市にある中越高校を卒業。その後新潟鉄道管理局(現:JR東日本新潟支社)でプレーし、1970年のドラフトで阪急ブレーブスに2位指名されました。

プロ入り後

プロ入り当初

上記で、自分の印象では貫禄のある社長さんのようだったと記載しましたが、“ノミの心臓”と呼ばれるほど気が弱く、また極度のあがり症であったため、プロ入り数年間は一軍では結果が出ず、プロ入りから5年間であげた勝ち星は2勝でした。

飲酒登板

1978年、当時の投手コーチが今井投手の酒好きに目をつけ、5月の南海戦でビールを飲ませて登板させたら、好投したとの事。

元は当時の監督コーチ会議で「飲むと陽気になってノビノビするので、試合前に飲ませては?」との事で行われました。

完全試合

その後も数回飲まされて登板した事もあったようですが、自信もついてきたのでしょうか、普通に実力を発揮できるようになってきました。

そして1978年に完全試合を達成します。

この時も飲酒登板したのではという噂もありましたが、この時はどうやら飲んでいなかったとの事です。

最多勝2度

1981年には19勝15敗で最多勝、1984年にも21勝9敗、防御率2.93の成績で最多勝・最優秀防御率・ベストナインのタイトルを獲得し、チームの優勝に貢献しました。

晩年

阪急からオリックスになった1989年以降は、中継ぎや抑えもやりました。

親分肌で気取りのないやさしい性格から後輩に殿と慕われ、オリックスのリリーフ陣は「殿様リリーズ」とも呼ばれていました。

親分肌なところは、私が子供の時にうけた「貫禄のある社長さん」のような印象とかぶるところでしょうか?

1990年オフ福岡ダイエーホークスに移籍し、夫人の実家のある佐賀県佐賀市に在住しました。

翌1991年に現役を引退。

引退後から現在

野球解説者、野球評論家。福岡県内を拠点としてタレント活動も行っていました。

テレビ出演は、自宅のある佐賀県のサガテレビと、福岡放送が中心でした。

また2007年から佐賀駅近くで、「ゴッドマザーイマイ」という定食屋も経営していました。

これは奥様と娘さんが始められました。ただ残念ながら今は閉店してしまい、奥様も亡くなられてしまいました。

最後に

上記に書いてあるとおり、今井投手はタレント活動も行っていました。

私は、子供の頃の印象で、今井投手にあまり気さくな感じをもっていなかった(極度のアガリ症のせいだったのだと思うのですが)ので、このタレント活動はとても意外な感じに思えました。

でも野球を活かした活動なのかなと思って調べてみたら、そういうところもあったようです。

たしかに今井投手は福岡放送の人気番組『ナイトシャッフル』のレギュラーを長年務めていて、そこでは、今井投手から素人出演者がホームランを打てば100万円が貰える企画があったとの事です。

ただ私が注目したいのは、今井投手はグルメリポートをする事もあったとの事で、そこでうまい料理といっしょに昼間からお酒を飲む事もあったようです。

みんな今井投手の酒好きや気取りのないやさしい性格を知っていたためか、訪問先で勧められる事が多かったとの事です。

そして今井投手が笑顔で「いや~すんまっせん」と返事して嬉しそうな顔で飲むのが定番だったとの事でした。

ここで私が思ったのは、これって上記に記載した酒場番組みたいだなと思ったのです。

今井さんのグルメリポートがいつからはじまったのか、どんな感じだったのか私にはわからなかったのですが、今井投手は実は酒場系タレントのはしりだったのでは?

などと思ったのはこの記事を書いている途中でした。そしてそう思えた事が私の今回の最大の収穫になりました。

 

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