中村雅俊が人気者になるまでのエピソード

中村雅俊さんのプロフィール

生年月日 昭和26年2月1日
出身地 宮崎県牡鹿郡女川町で生まれる
職業 俳優およびミュージシャン
家族構成 妻 淳子(じゅんこ)
長男 俊太(しゅんた)
長女 有香(ゆか)
次女 麻実(あみ)
三女 里砂(りさ)

幼年時代

中村雅俊さんは3歳で父親を亡くし、家族旅行もしたことがなく、誕生日や何かおめでたい日のご馳走はカレーだったそうです。

母子家庭だったために、3人の子供を育てる為に母親は仕事に行き、雅俊さんら子供の事は放任主義で、雅俊さんが小学校に上がるか上がらないかの頃に二番目の父親が出来ました。

その2度目の父親は借金があり、母はバー「八重」を経営して生計を立てていました。

けっして裕福な家庭ではありませんでしたが、雅俊さんは成績も優秀なほうで生徒会長を務めたこともあるそうです。

片親だからとグレることもありませんでしたが、幼稚園時代にケンカして殴られて泣いた時は、母親が自分から先に殴ったのでなければ10倍にして殴り返せ!と教えられていたそうです

その時以来、喧嘩で泣いた事はないそうです。

妻、五十嵐淳子さんとの出会い

雅俊さんが主演していた「俺たちの勲章」に五十嵐じゅん(芸名)さんがゲスト出演したことが出会いのきっかけです。

雅俊さんの母親は当時は結婚に猛反対していて、店を閉めて上京し、雅俊さんのマンションに居座っていたそうです。

反対の理由は「デビューしたばかりなのに結婚したら人気が落ちる」という理由です。確かに、離れていったファンもいましたが、愛妻家の雅俊さんは4人の子供にも恵まれて(本当は5人欲しかったそうです)雅俊さんの子供たちも活躍しています。

ちなみに結婚記念日は昭和52年2月1日、雅俊さんが26歳の時です。

俳優・歌手活動。

日本コロムビア所属で、デビュー曲は「ふれあい」です。「いつか街で会ったなら」はオリコンで6位になったヒット曲です。

いつか街で会ったなら 中村雅俊

妻の五十嵐淳子さんに「俺こういうの歌っているんだ、知ってる?」と聞くとなんと五十嵐さんは知らなかったそうです。あちこちから流れるヒット曲だったために雅俊さんはショックだったとのこと。

他に有名な曲は「恋人も濡れる街角」ですかね。私も大好きです。

俳優としては「太陽にほえろ」がデビュー作で、医師役(長谷川)として1回きりの出演でした。

そこから「われら青春」で沖田俊という熱血先生の役をやりだしたころから道を歩いていると、「沖田先生だ!」と言われるようになり知名度も上がってきました。

デビュー当時は家賃1万のアパートに住んでいましたが、知名度とともに、アバートの前にファンが群がるようになってきたそうです。母からの仕送り2万5千円を貰っていましたが、それだけで食べていけるはずもなく、家庭教師のバイトをしたり、共演者の保積ぺぺさんやスタッフさんたちから借金して暮らしていました。

その後、人気が上がり1か月のギャラが25万円に上がり食べていけるようになったそうです。

雅俊さんが芸能界に入って敬愛する大先輩は(故)大友柳太郎さん、(故)笠智衆さんでした。

中村雅俊さんの性格

義理の父親に「お前のことは、ずっと気になっていた。デビュー以来、お前の出ているドラマも歌番組も欠かさず見ていた。お前は子供のころから鉄火肌でケンカっぱやいから、そういうの直したほうがいいぞ。どうなんだ、仕事はうまくいってるのか?」と言われたそうです。

血は繋がっていなくても父として雅俊さんを愛しているのが伝わります。

テレビやドラマを見ていると怒るシーンなどは迫力がありますね。地なのでしょう。

ちなみに育児は奥さんまかせで、毎晩飲み歩いていたそうです。

最後に

中村雅俊さんはファンも幅広く、若年から老年まで知らない人はいないほど人気です。とても愛妻家でおしどり夫婦、子供を大切にして仕事と両立して家庭を大切にしています。

コンサートではファンに楽しんでもらえるように、ピアノ・サックス・ハーモニカ・ギターまで演奏されて、その努力は46周年経った今でも衰えてません。

そして、出版した自叙伝「星になるまで愛したい」は、今から26年前に発行されました。

この本にはありのまま飾らない雅俊さんのすべてが記載されています。

現在は自分が代表取締役の会社を経営しておられます。これからの活躍にもおおいに期待している俳優です。

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