マーク・ボラン(T.REX)疾走と衝撃の結末

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マークボランTレックス

Tレックスは1970年代、デヴィッド・ボウイロキシー・ミュージックモット・ザ・フープルなどとともに、グラムロックを代表するアーティストです。

グラム・ロック”というのはグラマラスなロック。男性でありながらメイキャップしてラメやサテンのコスチュームを身にまとって演奏。今でこそロックアーティストがメイキャップすることは珍しくありませんが当時としては衝撃的でした。

1968年にデビュー。アコースティック・ギターとヴォーカルのマーク・ボラン、パーカッションのスティーヴ・トゥックの二人が”ティラノザウルス・レックス“を結成。フォークロック・グループとしてマニ
アックな人気がありました。

その後、新しいパートナーにミッキー・フィンを迎え1970年12月に「T.Rex」とバンド名を短縮、「ライド・ア・ホワイト・スワン」(全英2位)の大ヒットでスターダムに。

アルバム『電気の武者』がUKチャート1位の大ヒット。「ゲット・イット・オン」(全英1位・全米10位)「ジープスター」(全英2位)といった人気シングルも生まれ、グラムロック・グループとして一斉を風靡。1972年に『ザ・スライダー』(全英4位・全米17位)、1973年には『タンクス』(全英4位)と次々にヒットアルバムを出しました。

マーク・ボラン(T.REX)疾走と衝撃の結末
※映画「Born To The Buggy」リンゴスター・エルトンジョンと

さらにシングル「メタル・グゥルー」(全英1位)「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」(全英2位)、「イージー・アクション」(全英2位)など、数多くの大ヒットを連発していきました。

日本でも武道館公演を行なうほどの人気で、1973年にリリースされたシングル、「20センチュリー・ボーイ」(全英3位)は当時の東芝EMIのスタジオでレコーディングされたほどでした。

さらに「ザ・グルーバー」「トラック・オン」「ライト・オブ・ラブ」「ティーンエイジ・ドリーム」もヒットしました。

グロリアジョーンズとの恋愛と突然の死

しかし1975年に入るとグラムロックブームも終わり、急速に人気もしぼんでいきました。そして黒人女性シンガーのグロリア・ジョーンズと1969年に最初に出会い、恋愛関係になりました。

マーク・ボラン(T.REX)疾走と衝撃の結末

※マーク・ボランとグロリアジョーンズ(VINTAGE EVERYDAYより引用)

しかし、1977年にグロリア・ジョーンズが運転する車が街路樹に激突し、同乗していた彼は29歳で死去してしまいました。

生前、「30歳まで生きられないだろう」と語っていたマーク、偶然にも30歳の誕生日の2週間前でした。

彼らの間には、ローラン・ボランという息子がいます。(1975年9月T.REXのシングルDreamy Ladyの発売日に生まれました

脅威の連続ヒット

Ride A White Swan (改名後最初のシングル チャート入り)

Ride A White Swan : T.Rex

Jeep Star (全英2位)

T.Rex / Jeepster – マーク・ボラン& T.レックス / ジープスター

Get It On (全英1位・全米10位)

T. Rex – Get It On (1971) HD 0815007

Metal Guru (全英1位)

T. Rex – Metal Guru 1972

Telegram Sam

T. Rex – Telegram Sam

Children Of The Revolution (全英2位)

Marc Bolan & T.Rex Perform 'Children Of The Revolution' From Born To Boogie

Easy Action (全英2位)

SOLID GOLD EASY ACTION T.REX

20th Century Boy (全英3位)

T Rex – 20th Century Boy

Teenage Dream

Teenage Dream

そして、その後の物語

※デビット・ボウイ

グラム・ロック・ムーヴメントの中心を占めていたもう1人の“カリスマ”が、デヴィッド・ボウイです。

ボランが事故死した際、同じ車に乗っていたグロリアさんも瀕死の重傷を負いました。そして声帯を破壊されたため、その後は歌手として生計を立てていく道も絶たれてしまいました。ロンドンのボラン邸で6年も家族同様に同居していたにも拘わらず、入籍していなかったため残された内縁の妻グロリアさんと幼児ローラン君は突如、路頭に迷うことに、、、

そんな時期のことを、ローラン君は語っています。

僕と母の前に突如現れた救済者がデヴィッド・ボウイだったんだ

以後はグロリアさん母子の衣食住・生活費全部をボウイが支払い続けただけではなく、ローラン君の学費までずっと父親がわりになって支払い続けたといいます。

ボウイの優しさに感謝する母子が「血縁でもないのに何故こんなに親切にしてくれるんですか?」と訊いても、

「長年親しくしてきた親友の家族が困っている時、ヘルプするのは友人として当然のこと。大したことじゃないよ」

と軽く受け流し、

「今後も何か僕にできることがあるなら、遠慮せずいつでも連絡してくれ」

と会話の最後にはいつも付け加えていたそうです。

そんなボウイも2016年にその生涯を終えてしまいましたが、こうした素晴らしいカリスマ同士の友情があったのです。

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