
hideの墓 wiki(c)
X JAPANのhideさんが1998年の5月2日に亡くなられてから、21年が経過しています。
X JAPANというと、昭和生まれの方に知られていることが多いですが、実は平成の若者にも、hideさんは大人気です!
そこで、平成生まれでX JAPANが大好きなわたしが、実際行ったことのあるhideさんのイベントにて、同世代と交流した体験や、hideさんを知らない人も楽しめる珍エピソードをおとどけ致します。
X JAPAN hideとは?
⑭hide(hide with Spread Beaver、ex,X JAPAN)
当時のVには珍しい、茶目っ気がある人。
楽曲も伸び伸びとしていて好きデス。 pic.twitter.com/qsFj3J4O87— はんぺん◇おでん商会 (@hanpeeeen0414) May 26, 2020
本名:松本秀人。
1964年12月13日生まれで、神奈川県横須賀市出身。
身長170センチ、血液型はAB型。
87年から97年まで、X JAPANの名ギタリストとして活動していた頃は、名義が大文字の「HIDE」でしたが、93年からソロ活動をするようになってからは、小文字の「hide」名義で活動。
メジャーデビューとなったきっかけである、X JAPANがメンバーによる不祥事が発生したため、突如、解散。
ソロ活動では、個人バンド「hide with Spread Beaver」を結成し、96年にはレコードレーベル「LEMONed(レモネード)」を創設。
同名の個人ショップの権利も持っており、現在、原宿店と大阪店の2店舗が、新型コロナ対策を兼ねての営業をしています。
かつては、期間限定で、出張店舗も地方限定で展開されていましたが、現在は中止。
とても周囲の人のことを考えて行動する人柄が、関係者やファンに知られています。
後述しますが、hideさんのファンの一人で、闘病されている女性にも、旧知の仲のように接していた、真の優しさが伝わるエピソードもあります。
学校は、某高校以外に、美容師だった祖母の影響で、ハリウッドビューティ専門学校を卒業。
hideのおばあちゃんhideと似てますかね⁉︎おばあちゃんと同じ美容師目指してたんだもんね? pic.twitter.com/SMZ1arxtyv
— ☝︎D A I S U K E☝︎??ⅥⅨ?? (@rustyna42034103) September 25, 2018
美容師として勤務していた時期もありました。
この経験から、X JAPAN(旧名:X)として、活動していた当時は、メンバーのヴィジュアル面において、ヘアメイクも担当。
X JAPANとして活動する前は、「横須賀サーベルタイガー」という個人バンドで下積み時代を送っていましたが、音楽から「卒業」し、将来を見据えて、美容師として生きてゆこうと決意。
横須賀サーベルタイガー pic.twitter.com/5efzeWLeV7
— の@ㄘん (@XIII_666_QXZ) December 29, 2018
いくつかのバンドからの誘いを断りましたが、とうとう、X JAPANのYOSHIKIさんからのオファーを受けます。
当時、「X」と呼ばれていた、現在の「X JAPAN」に加入が決定しました。
HideさんはXが突如、解散する動きに対して反対の意思を示していましたが、「諸事情」で結局は、解散となりました。
Hideさんは解散以降も、自身のことを応援してくれるファンのために、「Hide with spread beaver」を結成したことも有名です。
このバンドは、X JAPANを離れてからのhideさんの活動として、ファン以外の人にも知られているバンドでした。
「ROCKET DIVE」や、「ミザリー」、「ピンクスパイダー」、「Tell me」など多くの楽曲を残し、現在でも「hideの音楽」として愛聴され続けています。
98年には、パソコンを利用して自分のホームページを作り、ファンとのチャットができるよう、メールを設定するなど時代の最先端をいく人でもありました。
さらに、CG技術を駆使して自分を再現できないか?という提案も。
2つのバンドで大きな活動をしてきたhideさんですが、1998年の5月2日に自宅で、整体師から伝授された肩こり予防のマッサージをしていたところ、体勢を誤ったことにより、事故死してしまいました。
ギタリストなので、hideさんは、肩こりや頭痛に悩んでいました。
また、控えていた「hide with Spread Beaver」のツアーの演出の練習をしていたのですが、かなりの泥酔状態ゆえに、タオルが首に絡まって抜けなくなったのです。
だからこそ、遺書もありません。
当時、マスコミでは、「自死」疑惑が囁かれ、その頃、担当していた警察も自死と断定しました。
しかし、正確には、自死ではありません。
多くの人を混乱させ、葬儀会場では、ショックで失神する女性や体調を崩してしまった人もいました。
現在でも、hideさんの死因については、ひどい噂をする人もいますが、公式サイトおよび、hideさんの活動を現在でも支えている実弟Vさんによると、原因は事故だと発表。
告別式や通夜には、献花式には1万2千人の一般のファンが、密葬は関係者のみで300人で開催されました。
現在でも、毎年5月2日の献花式や、12月頃には、hideさんのバースデーイベントが開催されています。
【5/2開催・hide Memorial Day 2019】hideを愛する皆様と一緒に「献花式」「hide FILM ALIVE!(フィルムライブ)」を行います。2/28(木)12:00〜hideオフィシャルサイト会員を対象としたhide FILM ALIVE!チケット先行がスタート!詳細は特設サイトへ
→https://t.co/SKsDhw1d3x#hide #HIDE #XJAPAN pic.twitter.com/kwJ5NhRRzF— hide official (@hideofficial_20) February 27, 2019
hideさんは平成世代にも熱い!イベントにいってみた!
本日はhideさんのMemorial Dayです。川崎クラブチッタでは、献花式が行なわれています。 pic.twitter.com/8XAFY3BEsu
— WeROCK/ロッキンf (@werock_magazine) May 2, 2018
2017年から2019年にかけ、hideさんのイベントに、X JAPAN好きな年上の友人とよく出掛けています。
2019年5月2日と12月13日。
献花式とバースデーイベントには昭和と平成生まれのX JAPANやhideさんファンが多く、私と同じ20代ファンによるhideさんの楽しみ方はというと・・・
・SNSにhideさんのイラストを描く・コラージュした待ち受け画面について、献花式とバースデーイベントで感想の意見交換。
・昭和生まれのファンから、hideさんやX JAPANについて濃厚な知識を知る。
・Hideさんのぬいぐるみをイベントに連れていき、互いのhideちゃんぬいぐるみの写真を撮り合う。
・Hideさんの楽曲についてメジャーなものからあまり知られていない隠れた名曲について語る。
・Hideさんが飲んでいたお酒を探して飲んだら、そのことを会場で話し合い、お互いの「ヒデラ」具合について話す。※20代の「ヒデラ」の何人かは、hideちゃんぬいぐるみの頭をナデナデするか、hideさんの曲をかけながらヘッドバンキングする※
このように、hideさんの平成世代の楽しみ方は、かつてはなかったSNSやアプリを駆使して応援する人が急増中。
また、私もそうですが、昭和生まれのhideさんファンから、hideさんのお酒にまつわる面白エピソードを聞くなど、茶目っ気たっぷりで豪快な魅力を知りました。
つづいてはそのいくつかのエピソードを紹介!
hideさんのお酒にまつわるエトセトラ
hideのぬいぐるみ探しあさっとる
欲しいカワイイから#hide pic.twitter.com/dn4UtLpxNB— ユウカ (@yka619) May 26, 2020
X JAPANメンバー、PATAさんにお酒の美味しさを教えたのは、hideさん。
日本酒が基本的に大好きですが、日本酒の次に好きなバーボンは要注意(笑)
車のボンネットの上に飛び乗るなど、ハラハラドキドキは定番!
酔っているhideさんの愛称は“ゴジラ”にあやかり、“ヒデラちゃん”
Hideさんのお酒好きがよく伝わる、「Drink or die」という楽曲があり、歌詞にも、“日本酒バーボンビールにアブサン焼酎 濁酒 テキーラなんでも持って来い!酒持って来い!”という好みのお酒がわかるような描写が。
Hideさんと親交の深いライター、Aさんとの交流は長く、酔ってコンビニへ行き、苺味のポッキーを買う微笑ましい様子も。
いたずらのつもりで、当時、若かった男性スタッフに、ビールを買ってくるよう頼んだけれど、車でゲイバーの付近まで彼を車から降ろして置き去りに。※のちに何事もなかったかのようにスタッフを迎えに行った※
泥酔したスタッフの心の悩みを親身に聞く。
人を驚かすことが大好きなhideさんならではのやんちゃな可愛いエピソードでした!
hideさんと約束のチーズケーキ
このhideと貴志真由子さんのエピソードはほんとに泣けるよね〜(T . T)#hide #HIDE #XJAPAN #貴志真由子さん pic.twitter.com/g3CSUoc1Hr
— 広翔 (@hrijm) April 1, 2016
Hideさんと闘病中だった某ファンとの心温まるエピソードは、hideさんを語るにはかかせない魅力です。
その人Uさん(仮名)のご両親は、喫茶店を経営されていて、娘さんが「GM1ガングリオシードスタイプ3」という診断をされた際、闘病中の家族を支える「メイク・ア・ウィッシュ」を通じて、「娘をhideさんと会わせてもらえないか」と頼んだことがはじまりでした。
すぐにhideさんの個人事務所に連絡がいって、当時、電話の対応に出たスタッフはあまりの大きな依頼に困惑したことや、不適切な対応が。
事務所に滅多にいることのないhideさん
この日は偶々来ていて、病気の女の子のことを伝えられたときは、hideさんは怒りをあらわに。
「その子の母親がどんな気持ちで電話をかけてきたと思っているんだ」と。
その後、自らUさんの母に電話をし、承諾。
Uさん(仮名)を95年の大晦日に開催されたX JAPANのコンサートに招待したことや、文通や電話を通じて、Uさんを元気づけてきました。
95年の大晦日で、Uさんはhideさんに手編みのマフラーをプレゼントしています。
さらに、Uさんの母から、Uさんが手術後の拒絶反応で危篤状態にあると知った際には、全ての仕事をキャンセルして、Uさんを電話で励まし続けました。
そこで、下がり気味だった血圧が、hideさんが後ほど、病院に駆け付けた時は途端に下がらなくなったのでした。
頭を下げ、恐縮するUさんの母に対し、自分がその時、はめていた指輪を「マブダチが大切ですから・・・これ、Uさんのお守りに・・・」と渡して仕事へ戻るなど。
その後、hideさんは「自分にできることをするだけ」と強い意志を固め、骨髄バンクに登録。
ところが、hideさん自身はその事を誰にも知られたくなかったのですが、所属事務所がそのことをhideさんに相談することなく、公の場で公表。
そこで、hideさん本人は記者会見後に、激怒。
彼としてはミュージシャンである自分が純粋に闘病するファンを助けたかっただけで、記者会見も望んでいなかったからです。
「これでは売名行為だ!あの子(Uさん)やUさんの家族がそれを知って傷ついたらどうする」
Uさんは当時28歳で死去されましたが、hideさんとUさんが交わした微笑ましい約束が。
「チーズになっちゃうくらい大きなチーズケーキを食べよう」
これは実際に、hideさんとUさんの文通のやり取りにあったもの。
現在、この2人のやり取りから誕生した、Uさんのご両親が経営する喫茶店では、「約束のチーズケーキ」が大人気。
誕生日ケーキなどのギフトにはもちろん、クリスマスケーキとしても毎年、注文が殺到!
私も注文して食べましたが、とても優しい味でした。
Hideさんはバンドメンバーに対しても「優しい」人柄を覗かせています。
・YOSHIKIさんは魚の小骨が当時、苦手で、hideさんが食事を共にした際には取ってくれた。
・ToshlさんがXを離れると言った時は、何度も「本当にそれでいいのか?」と問いかけ、相談にのった。
・ToshlさんがXの解散コンサートにて、洗脳事件の影響で心がパンクしそうになったときは、「としくん、パーッとパーッと」と言って明るい声をかけ、Toshlさんに笑顔が。Xから一時的に離れていた、Toshlさんに向けて、出演したラジオで呼びかけた。
などのエピソードもあります。
さいごに
hideさんは、闘病していたファンを家族同然に気にかけるところや、メンバーへの思いやりのある人物像が愛されています。
hideさんは、90年年代にパソコンを駆使し、CG製作で自分のホログラムを作ることを提案するなど「未来人」のような一面もありました。
同じ時空に生まれたことに感謝です。
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